Hard人生

フェミニズムとミサンドリー(男嫌い)、その他の雑多なこと

これまでのこととこの先のこと

苦労するほど素晴らしいとは決して思わないけど、やっぱりいろんな人間にあてられて苦労した人ほど人間として器が大きくなるんだと思う。自分もこの半年間でとてもいろんなことがいっていろんなことを考えた。「人の心とは」なんて今まで考えたことなんかなくて、幼少期のころからただただ忙しい予定をこなすだけの毎日だったから。

 

今でも心の状態を表す言葉を聞いてもあまりピンとこなくて、例えば「がんばろう」とか「自分の信じる道を突き進む」とか「自分の心と向き合う」とか何言ってんだ???ってすごく上滑りな感じがずっとしていてよくわからない。それでも少し自分や他人の心の状態にも気を配ったこの半年間の経験から私は以前よりも人間的に丸くなれたところもあると思う。

 

お世辞も思ってないことも言いたくないし、それでも自分を保って周りとも仲良くできる人はすごいよね。そうなりたいけどもう今からじゃあ遅いのかもしれないし。だけど私にだって人にもまれた経験はやっぱりあって、それは絶対悪いことだけじゃなかったって思いたいよ。もしかしたらポジティブな状態って最悪の状態を経験しないと分からないことだったのかもね。

 

最近は特につらいことがあって自分でもどうしよもないほどにつらさが膨らんでいって抑えられなくてあることをしてしまったんだけど、本当は全然後悔してなくて、たぶん今もう一回あの時に戻っても結果は変わらなかったと思う。時間を戻してやり直せればと考えることは多いけど、結局物事の本当の原因はもっと前にあって最終的には生まれなおすしかないってことになっちゃうから、生きている限り起こったこと起こったことに対処していくしかないよね。

 

だから本当はこれまでももっと色々やってみるべきだったのかなあとも思うし、やっぱり当時の自分には到底キャパが足りなくてパンクしちゃってたよ、やらなくてよかったよとも思う。まあこれから起こることもたぶん簡単じゃないこととか難しいこと心を引き裂かれるようなつらいことがあるはずなんだけど、やっぱり全部出たとこ勝負で立ち向かっていくしかない。

 

だからこれからは大変そうだからやめておこうとか、そうやって制限かけることだけはやめてみようと思ってる。働いたらやっぱりちゃんと仕事で成功したいって思ってるし、私がこれからする仕事は自分の能力と努力でちゃんと「成功する」ことができる仕事だと思ってるから、やっぱり仕事は研究みたいに逃げ腰ではいたくないな。勉強が必要ならダブルスクールだって行くし、時々夜遅くてなったとしてもそれはちゃんと自分にとっても社会にとってもすごく意味のあることだから、偏屈になったりしないで受け入れよう。

 

思えば大学での研究はなんだか追いつこう追いつこうとしたままで過ぎていってしまって、ずっと無理をしていたし偏屈でいたまんまだったな。なんで学生なのに休日に来なきゃいけないの?なんで毎日こんなに遅いの?どういう強制力で?とかずっと思ってた。でも確かに楽しめないちゃんとした理由もあって、だから自分を責めるのはやめるけど、人と比べて私ばっかり損してる気になっていて自分で自分をつらくしていたんだと思う。

 

しばらくは人と関係を切ってでもいいから自分は自分って満足できる生活を送りたい。やっぱり今はそれが自分にとって一番必要なことで、そのために家に帰ること、母と暮らすこと、母に身の回りの家事を助けてもらうことは大きな助けになることは間違いなくて、その点でも自分は正しい選択をしたと思うよ。人にあれこれ言われても、自分だけならそう思えるし、やっぱり今は人と関わる時期ではないんだと思う。

 

とにかく私はこれからも自分に正直でいたいって思うし、でもこれからは人のことも大切にできるようになりたい。もっと楽しいことを増やしていきたいし、自分がいろんなことに参加したい。あとはやっぱりもっと何かに打ち込んでる感覚はほしいから仕事に対して悪いイメージや搾取されてるイメージを必要以上に持つのはやめよう。仕事は私を縛るものであるのは確かだけど、私の自由を保証してくれる唯一のものであるのだ。

 

さあ修論をしあげよう。